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「風姿奇伝」第0話

風姿奇伝

前回予告したとおり、新作「風姿奇伝」の第1話が完成いたしました。
どうぞ、お読み下さいませ。(→ホームページへ)

実を言うと、第1話というよりも、内容的には「第0話」と言うべきかも知れない。
つまり、まだ「エピソード・ゼロ」(序章)の段階なのだ。
主人公(世阿弥)すら、まだ登場していない。

ちなみに、上に掲げた人物は、もちろん世阿弥ではない。大森彦七である。
……へ? 知らない?
まあ「超有名人」とは言わないが、知ってる人は知っているのではなかろうか?「太平記」にも、彼を主人公にした一節が存在するし、また、歌舞伎の題材にもなっている。
でも、わたしの知る限り、漫画では、彼を扱ったものを見たことがない。
もしかすると、今回、わたしが初めて、彼を漫画化することになるのかも知れない。

さて、とりあえず配信したものの、やはり、あまりにも中途半端すぎる。
主人公も登場せずに、「第1話完成」というのも、なんだか厚かましい(?)。
ということで、本編を「第1話・前編」として、引き続き「後編」を描く予定である。
と言っても、実はまだ、ちゃんとネームすら出来上がっていないのだが……。
前にも書いたが、ほんと「見切り発車」の「自転車操業」状態なのである。

まあともかく、いつ完成するかは未定ですが、引き続き「後編」もお楽しみに。^^

とりあえず描いてみる

風姿奇伝1
▲次回作のラフ・ネームの一部。……て言うか、こいつ誰?

次回配信予定の「新作漫画」について、ご報告申し上げます。

昨年の11月に、世阿弥を主人公にした「伝奇もの」を、とりあえず構想中ですとか言いながら、本当に描く気があるのかどうか、まだ迷ってます…などと、なんとも「煮え切らない内容」の記事をアップしてましたが、それについての「続報」をお知らせします。

その後どうなったかと言うと、実は昨年末から、いきなり原稿を描きはじめている。
ついに「本気」になったか!…と言うと、別にそういうワケではない。
ただ単に、後先考えず「見切り発車」したに過ぎない。
そもそも、総ページ数が、一体何百ページぐらいになるのかも、まったく未定である。
にも関わらず、ネームを十数ページ描いただけで、原稿を描きはじめてしまったのだ。

「おいおい、いくらなんでも、ちょっと無計画すぎやしないか?」
……という声が聞こえてきそうだが、わたしもまったく同意見である(笑)。
以前にも書いたが、「長編歴史もの」など、まったく描いたことのないジャンルであるし、ほぼ確実に、中途で挫折するに決まっていると、わたしは信じて疑わない(?)。
では、なぜ描きはじめたのかと言うと、他になにもアイデアが浮かばないからだ

ともかく、このサイトで、最後に漫画を配信してから、もう7年にもなる。
このまま放置し続ければ、漫画に対する「画力」や「構成力」が劣化しかねない。
いや、もうすでに劣化している。「オレってこんなに下手糞だったっけ?」と、この数か月間、毎日のように絶望感に苛まれながら、必死で漫画を描いている。
いわば、この漫画は「リハビリ」みたいなものかも知れない。

……と言うことで、この「リハビリ漫画」、早ければ来月、遅くとも再来月中(4月中)には、とりあえず第1話を(十数ページだけだが…)配信するつもりでいます。

では、乞うご期待!

20年ぶりの再会

今回は、ちょっと私事(わたくしごと)を書くことをお許しいただきたい。
ある「特定の人物」に向けて書いた、どうでもいい話である。

先週の正月休み、実家の近所の喫茶店で、ある友人と20年ぶりに再会を果たした。
仮に、彼の名前を「M氏」としておこう。
実は、このM氏は、わたしの人生を決定づけたとも言える重要人物なのである。

M氏とわたしは、小・中学校時代の同級生であり、お互いに漫画を描いては、それを見せ合ったりするような、いわば「漫画仲間」でもあった。
その後、別々の高校に進学したため、疎遠になってしまったが、20歳の時に「M氏が漫画家を志して上京した」という情報を、共通の知人から知ることになる。
「あいつがやるなら、おれもやる!」
わたしは、もう居ても立っても居られなくなり、彼のあとを追うように上京した。
われながら、驚くべき行動力である。
なにか現状から逃げ出したくなるような、切羽詰まった事情でもあったのか?(笑)

さて、その後、30歳を手前にして、お互い漫画家稼業は廃業することとなった。
わたしはその後すぐに「都落ち」したのだが、M氏はそのまま、東京で生活を続けた。
こうして距離的に離れたこともあり、まったく連絡も取らないまま、あっという間に歳月が流れてしまった。そして、ようやく20年ぶりに再会を果たしたワケである。

――さて、実はここからが本題(?)なのである。
実は、東京で漫画を描いていた頃、M氏以外にも、同郷出身者が、あと2人いたのだ。
「K氏」と「N氏」である。

さきほど、M氏とは小学校時代の「漫画仲間」だと書いたが、実は他にも数人いて、そのうちの1人が「K氏」だったのだ。そして、なんと偶然にも、K氏もわれわれと同様に、漫画家を志して、すでに上京していたのである。
もう1人の「N氏」とは、M氏の職場の同僚で、お互い漫画好きということで意気投合し、2人同時に退職して、手と手を取り合って(?)上京してきたという人物である。

こうして同郷の4人が、偶然に、あるいは必然的に集まり、ともに漫画家を志して切磋琢磨し合うなどという事に、当時、なにか「運命的」なものを感じずにはいられなかった。
(まあ、結局は、誰も漫画家として芽が出ずに終わってしまったけれど……)

ところで「K氏」と「N氏」は今、どこでなにをしているのか?
M氏と食事した際、当然、彼らのことも話題にのぼったが、結局分からずじまいだった。
あの当時「運命的なものを感じ」たとかなんとか言いながら、結局は嘘だったのか?
今じゃあ、連絡先すら分からないなんて、あの時の思いは、一体なんだったんだ?

……と言うことで、この場を借りて「尋ね人探し」をさせていただきます。

お~い、「K氏」よ。「N氏」よ。俺や。多田や。憶えとるか?
もし、この記事を読んで、興味を持ってくれたなら、いつでも連絡をくれ。
トップページの最下段にアドレスを載せてるから、そこにメールしてきてくれ。
いつでもいい。気が向いた時でいい。10年でも20年でも、俺はずっと待ってるからな。
なにしろ、俺たち4人は「運命的なもの」で繋がってる仲間なんやから。な。^^