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第19回ちばてつや賞を発表する

ちばてつや賞作品集

上の画像は「第19回ちばてつや賞優秀作品集」(非売品)である。
正式な名称は「’91前期 第19回コミックオープン(ちばてつや賞一般部門)優秀作品集」というらしい。上の画像では見えないが、背表紙にそう記してある。
こんなに長ったらしい名前だったとは、今までまったく知らなかった。
もう20年以上、ずっと実家の押し入れに眠っていたのだが、今回このブログで発表しようと思い立ち、ゴールデンウィークで帰省した際に、持って帰ってきたのである。

それにしても、ビックリするくらい、手垢で汚れまくっている。
これは当時、わたしの周りの「漫画家の卵」や「売れない漫画家」たち(わたし自身を含む)によって、繰り返し繰り返し、回し読みされた結果である。

さて、こんな大昔の本を、わざわざ持ち出してきたのには、実は理由がある。

昨年、Kindleインディーズマンガストアにて、わたしは『幸福屋の主人・行商人』(¥0)という短編集を発表したのだが、それに対して、知人からクレーム(?)が来たのだ。
ちばてつや賞佳作って書いてあるけど、そんな事実、どこを探してもないぞ

Kindleストアで内容紹介する際に「平成3年ちばてつや賞佳作」云々…と宣伝文句を書いていたのだが、それに興味を持って、Wikipedia等でいろいろと調べてみたらしい。
しかしWikipediaの「ちばてつや賞」のページに、わたしの名前など存在しないのだ。

こうして、わたしは「経歴詐称」(!?)の疑いをかけられてしまった。
しかし、どうせ詐称するなら、せめて「大賞受賞」とか、大法螺を吹けばいいものを、なにが悲しゅうて「佳作」などと、中途半端な嘘をつかにゃいかんのだ。
わたしはそんな、謙虚で、つつましくて、奥ゆかしい人間ではない(笑)。

じゃあ、なぜWikipediaにわたしの名前がないのか?
ここで、ある「衝撃の事実」を発表しなければならない。(←ちょっと大袈裟?)
実は、Wikipediaの「ちばてつや賞」に載っている受賞者一覧はデタラメなのだ。

もちろん全部が全部、デタラメというワケではない。
少なくとも、わたしの知る限り、一般部門において、80年代末から90年代初頭にかけての数年間、一部が欠落していたり、受賞回がズレているものが多数存在する。
なぜわたしがこれらのことを知っているかというと、この当時、わたしは「ちばてつや賞」の常連だったからである。
い…いや、「常連」などと言うと、何度も受賞してるかのように勘違いされてしまう。
正確にいうと、応募しては落選するという事を繰り返していただけだ(笑)。

しかし、これらの事実を、いくらわたしが訴えても、誰も聞いてはくれないだろう。
単なる記憶違いじゃないかと言われるのがオチだし、物的証拠もない。
いや、ひとつだけ物的証拠がある。
それが、この「第19回ちばてつや賞優秀作品集」なのである。
(……ということで、ここでようやく、本題に入ります)

目次
ディスコミュニケーション

では、まず「目次」をご覧いただきたい。(画像をクリックすると拡大します)
大賞受賞作品は植芝理一「ディスコミュニケーション」である。
知らない人のために説明すると、植芝理一氏は、この受賞作で、アフタヌーン誌上にて長期連載することになる。また、その後の作品では、TVアニメ化されたものもある。
つまり、この「第19回ちばてつや賞」の同期のなかで、一番の出世頭なのである。
いや、もしかしたら、この同期のなかに、植芝氏以上に出世した人が、他にいるのかも知れないが、不勉強のため、わたしは知らない……。

幸福屋の旦那
桃源郷

ちなみに、巻末に掲載されているのが、拙作「幸福屋の主人」である。
しかし、なにかの手違いで、なぜかタイトルが「幸福屋の旦那」になっている。
また、目次には「幸福屋の主人」他1編とあるが、これはもう1作「桃源郷」という作品があったのだ。つまり2本合わせて、ようやく佳作をとれたってワケだ。……(^^;)

では、Wikipedia「ちばてつや賞」のページを、ちょっと閲覧してみたいと思う。
(以下、2022年5月8日現在のページを参照しながら話を進める)

さて、受賞者の一覧表があるが、そのなかに、上記の「第19回の受賞者たち」の名前は、いくら探しても、まったく見当たらない。
大賞受賞者の「植芝理一」の名前すら、どこにもない。
一応、その他の項目の中に「植芝理一が1991年に一般部門で何らかの賞を受賞している」と但し書きがされているのだが、「おいおい“何らかの賞”どころじゃねぇぞ、“大賞”だぞ」と、わたしは声を大にして言いたくなってしまう。

じゃあ、一覧表の方では、第19回の大賞受賞者は誰になっているのか?
該当の箇所を見ると、鍛冶明香(かじさやか) 「オアイヌシグル」と書いてある。
この作品に関しては、わたし自身、少しだけ記憶にある。
アイヌを主人公とした切り絵漫画だったように覚えている(うろ覚え)。
だが受賞回は、絶対に第19回ではない。第16回あたりではなかったか?(うろ覚え)

なんだか「うろ覚え」ばかりで恐縮だが、しかし、上記の「第19回の受賞者たち」に関しては、決して「うろ覚え」なんかじゃない、正真正銘の受賞者たちなのである。
と言うことで、彼ら(と自分)の「名誉」のため、名前をテキスト化することにした。
(目次の画像をOCRで変換し、さらに、一字一句「校閲」しました)

■’91前期 第19回コミックオープン ちばてつや賞一般部門
大賞
「ディスコミュニケーション」 植芝理一
準大賞
「サラダ・リンチ」 国原油田
入選
「一歩」他1編 小野 茂
「ボーリングに願いを」 せきやなおこ
準入選
「激震 地獄丸」 三浦文祥
「CRY FOR THE MOON」 ともきあや
「害吉爆死行」 伊達 丈
「メドベージの日記」 松村 悟
佳作
「黄昏」 山内 暢
「コンクリート鯨の季節」 おざわゆうじ
「佐無頼」 高塚俑作
「極悪非道教師物語」 松浦の~ぶ
「シティー・ノイズ」 ちかみいちろう
「激突! K大空手部」 宮地 徹
「エンツォ・フェラーリに捧ぐ」 杉浦和弥
「SILENCE」 井上直樹
「幸福屋の主人」他1編 多田基比古

さあ、これで永遠に「ちばてつや賞受賞者」として名が残るし、どこぞの知人から「いくら検索しても名前すらヒットしないじゃないか」と、クレームが来ることもない。
これからは堂々と「過去の栄光」にすがりながら生きていく事ができるぞ(?)。

いや、この受賞者のなかには、「ありがた迷惑」に感じる人もいるかも知れない。
若気の至りで漫画を描き、うっかり本名で発表してしまい、恥ずかしすぎて誰にも言えず、その後、数十年の歳月を経て、ようやく記憶から抹殺できた「黒歴史」を、どうして今更、わざわざ掘り起こされなきゃいけないのかと、「お叱り」を受けるかも知れない。

もし、そのような場合は、どうぞ、ご一報いただきたい。
すみやかに、画像の一部をモザイク化し、テキストは伏せ字処理させていただきます。
(い…いや、そんなことしたら、余計に「悪目立ち」しそうだけど……^^)

▶後編に続く「続・ちばてつや賞の話

続・ちばてつや賞の話

夏の華
▲拙著「夏の華」(第17回ちばてつや賞選外佳作)

この記事は、以前配信した「第19回ちばてつや賞を発表する」の続編である。
本来なら、その直後に、この続編をアップする予定だったのだが、いろいろとプライベートで忙しくなり、そのまま「お蔵入り」になってしまっていた。
しかし今回、他に配信するネタもないので、「お蔵出し」する事にしました。(^^;)

さて、前回にも書いたとおり、わたしは「第19回ちばてつや賞」の佳作受賞者である。
でも実はそれ以前、第17回にも「夏の華」という作品で「選外佳作」になっている。
(興味のある方は、どうぞお読みください→「夏の華」)
さらにさらに言うと、第18回にも「狐(きつね)」という作品を描いて応募している。しかし、まったく見向きもされずにボツになった。
(興味のある方は、どうぞお読みください…と言いたいところだが、実は現存していない。ボツを食らった帰り道、わんわん泣きながら、ビリビリに破って捨てたからだ!?)

とにかく、わたしはこの時期の「ちばてつや賞」の常連だったワケである。
当時の大賞受賞作や入選作品などは、なんどもなんども繰り返し熟読したものだ。
しかし、前回書いたように、これらの作品はすべて、Wikipediaの「ちばてつや賞」のページには、一切載せられていないのだ。

ちょっと自分の記憶を頼りに、当時の受賞作を思いつくまま列挙してみたい。
第17回(’90年前期)の大賞受賞作品は菅原雅雪「オホーツク物語」。
同じく第17回の佳作に、犬丸りん(「おじゃる丸」の作者)がいたように記憶している。
また第18回(’90年後期)の大賞受賞者はヒラマツ・ミノル(作品タイトルは失念)。
あと、ほぼ無名の作家かもしれないが、第18回の入選作に井上直樹「無限回廊」という作品があり、その画風がすごく好きだったのを覚えている。
(井上直樹氏はその後、第19回にも「SILENCE」という作品で佳作入賞している)

では、なぜこれらの作品が、現在Wikipediaに載っていないのか?

このWikipediaのデータの元々のソースは、ちばてつや氏のホームページにあった。
つまり、ホームページ内の「ちばてつや賞」のデータベース自体が間違っていたのだ。

実を言うと、わたしは20年近く前、このホームページ宛てにメールをした事がある。
「わたしの過去の栄光(?)の記録が、なぜ抜け落ちているのか!?」
……と、怒り狂いながら、思わず抗議文を送り付けたワケではない(笑)。
当時わたしは毎日のようにブログを書いており、そのネタ探しの一環として、ちょっと連絡をとってみたのである。

残念ながら、その時の「やりとり」は、もう残っていない。
しかし、ちばてつや氏のご子息であろう「千葉なにがし」なる人物に、真摯に対応していただいたのは覚えている。
彼によれば、モーニング編集部に問い合わせてみたものの、年代が古すぎて、資料も残ってないので分からない、というような回答だったと思う。

その後、わたしのクレームに恐れおののいて(?)、その「ちばてつや賞」のデータページは閉鎖されたのだが、Wikipediaの方はそのまま残されて、現在に至っている。
しかし、近い将来、このWikipediaのページも消されるかも知れない。
データとして信頼できないものを、ずっと残すワケにはいかないだろうからだ。

――と言うことで、わたしの「過去の栄光」は、こうして、記録されることもなく、このまま永遠に消えてなくなる運命なのである(……泣笑)。